ハロウィンの仮装といえば、黒いマントに白い顔、鋭い牙をのぞかせるドラキュラを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
しかし、なぜハロウィンに吸血鬼の仮装をするのでしょうか。そもそも、吸血鬼はいつから現在のような姿になったのでしょうか。
実は、昔の伝承に登場する吸血鬼は、今のような優雅な紳士とは限りませんでした。民間伝承の怪物が小説の主人公となり、舞台や映画を通じて姿を変えていったのです。
今回は、ハロウィンとドラキュラのつながりを入り口に、吸血鬼のイメージがどのように生まれ、変化してきたのかを紹介します。

ハロウィンとドラキュラはどう結びついた?
ハロウィンは、毎年10月31日に行われるイベントです。魔女やおばけ、ゾンビなど、怪物や超自然的な存在に仮装して楽しむ風習が広く知られています。
その背景には、古代ケルトの祭り「サウィン」や、キリスト教の諸聖人の日の前夜にあたる「万聖節の前夜(All Hallows’ Eve)」など、複数の歴史的な風習があります。ただし、現在のハロウィンが古代の祭りからそのまま続いているわけではなく、さまざまな風習が重なって形づくられてきました。
では、ドラキュラはどこからやってきたのでしょうか。
現在のハロウィンのドラキュラ像を広めた大きなきっかけのひとつが、20世紀の舞台や映画です。とりわけ、1931年公開の映画『魔人ドラキュラ』でベラ・ルゴシが演じた、黒いマントをまとった優雅で不気味な伯爵の姿は、その後の吸血鬼のイメージに大きな影響を与えました。
つまり、ハロウィンでドラキュラの仮装をするのは、古代から吸血鬼の仮装が続いてきたからというより、怪物に仮装するハロウィンの風習と、舞台や映画によって定着した吸血鬼の姿が結びついたからなのです。
では、その吸血鬼のイメージは、いったいどこから生まれたのでしょうか。
昔の吸血鬼は、優雅な紳士ではなかった
現在の吸血鬼といえば、夜の城に暮らす貴族や、整った顔立ちの美しい人物を想像するかもしれません。
ところが、ヨーロッパの民間伝承に登場する吸血鬼は、もっと不気味な存在でした。
東ヨーロッパなどの伝承では、死者が墓からよみがえり、生きている人々に害を与えると考えられていました。現代のフィクションに登場するような洗練された吸血鬼というよりも、死者がこの世に戻ってくることへの恐怖と結びついた怪物だったのです。

こうした伝承が広く知られるようになった背景には、当時の人々が死や病気について十分に説明できなかったことも関係していると考えられています。
たとえば、遺体は埋葬されたあとも変化し続けます。腐敗によって腹部が膨らんだり、口元に血のような液体が見られたりすることもあります。こうした現象が、死者が墓から出てきて血を吸った証拠だと解釈された可能性があるのです。
もちろん、吸血鬼伝承のすべてがこうした現象だけから生まれたと証明されているわけではありません。地域ごとの死生観や民間信仰など、さまざまな要素が関係していたと考えられます。
いずれにしても、昔の吸血鬼は、魅力的な主人公というよりも、人々が死者や病気に抱いていた恐怖を映し出す存在だったのです。
1819年、吸血鬼が「紳士」になる
そんな吸血鬼のイメージを大きく変えた作品のひとつが、1819年に発表されたジョン・ポリドリの小説『吸血鬼(The Vampyre)』です。
この作品に登場するのは、ロード・ルスヴンという貴族の男性。彼は洗練された社交界の人物でありながら、恐ろしい秘密を持っています。

それまで民間伝承で語られてきた不気味な怪物とは異なり、上流階級に属する魅力的な男性が吸血鬼として描かれたのです。文学研究でも、ポリドリの作品は近代的な吸血鬼像の成立における重要な作品とされています。
この変化は、吸血鬼を単なる怪物ではなく、物語の中心で活躍するキャラクターへと変えていくうえで重要でした。
魅力的な人物なのに、近づくと危険。優雅な振る舞いの裏に恐ろしい本性を隠している――。
そんな吸血鬼の二面性は、現代の作品にも通じる特徴です。
さらに、1872年にはシェリダン・レ・ファニュの小説『カーミラ』も発表されました。女性の吸血鬼を描いたこの作品は、後の吸血鬼文学にも影響を与えています。
こうして19世紀の文学のなかで、吸血鬼は民間伝承の怪物から、魅力や欲望、恐怖をあわせ持つ存在へと変化していったのです。
1897年、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』が登場
そして、吸血鬼の歴史を語るうえで欠かせない作品が、1897年に発表されたブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』です。
物語の中心となるのは、トランシルヴァニアの古城に暮らすドラキュラ伯爵。イギリスに進出しようとする彼と、それを阻止しようとする人々の戦いが描かれます。
この作品は、吸血鬼そのものを初めて生み出したわけではありません。ポリドリの『吸血鬼』やレ・ファニュの『カーミラ』をはじめ、それ以前にも吸血鬼を扱った作品は存在していました。ストーカーは、そうした先行作品や伝承を取り込みながら、独自の物語を作り上げたのです。
では、ドラキュラ伯爵は実在の人物がモデルなのでしょうか。
よく名前が挙がるのが、15世紀のワラキア公ヴラド3世です。通称「ドラキュラ公」と呼ばれたほか、「串刺し公」とも呼ばれたことで知られ、敵に対する苛烈な処刑で有名な人物でした。

(筆者代理)
「串刺し公」の名は伊達じゃないなも。調べるときは閲覧注意なも。筆者はトラウマになって思い出すだけで気分が悪くなるなも……

そんな人物をもとにしてるってことは、きっとこの時のドラキュラも怖いイメージだったんだろうね……
ストーカーがルーマニアの歴史に関する資料から『ドラキュラ』という名前を知ったことは指摘されていますが、ヴラド3世本人が小説のドラキュラ伯爵の直接的なモデルだったかどうかについては、研究者の間でも見解が分かれています。
また、ドラキュラ伯爵の特徴には、コウモリへの変身や、十字架などを用いた吸血鬼退治といった、後世の作品でもおなじみの要素があります。『ドラキュラ』は、それまでの伝承や文学にあった特徴を組み合わせ、近代の吸血鬼像を形づくるうえで大きな役割を果たしました。
ただし、現代の吸血鬼に関する設定のすべてが、この小説で初めて登場したわけではありません。吸血鬼の特徴は、その後も舞台や映画を通じて変化していきます。
マント姿のドラキュラは、映画が生み出した?
小説『ドラキュラ』が発表された当初、読者は伯爵の姿を文章から想像するしかありませんでした。
そこで重要になるのが、舞台や映画の存在です。
1924年、アイルランド出身の劇作家ハミルトン・ディーンによる舞台版『ドラキュラ』が、イギリスのダービーで初演されました。この舞台では、伯爵の洗練された紳士らしさが視覚的に表現され、観客に強い印象を与えました。
そして1931年、ベラ・ルゴシ主演の映画『魔人ドラキュラ』が公開されます。
黒いマント、高い襟、整った髪、そして人を魅了するような立ち居振る舞い。ルゴシが演じたドラキュラは、恐ろしい怪物でありながら、どこか優雅で魅力的な存在でもありました。
この映画の影響によって、ドラキュラといえば黒いマントをまとった貴族、というイメージが広く定着していったのです。
ちなみに、吸血鬼は日光に弱いという設定も、作品によって違いがあります。
1922年の映画『ノスフェラトゥ』では、日光によって吸血鬼が滅びる描写が登場します。一方、ストーカーの小説に登場するドラキュラは、日光を浴びても即座に滅びるわけではありません。ただし、昼間は能力が制限されるとされています。
私たちが当たり前だと思っている吸血鬼のルールも、最初からすべて決まっていたわけではないのです。
現代の吸血鬼は、恐ろしいだけの怪物ではない
その後も、吸血鬼は小説や映画、漫画、ゲームなど、さまざまな作品に登場してきました。
恐ろしい怪物として人間を襲う吸血鬼もいれば、人間との恋愛に悩む吸血鬼や、自分の存在に葛藤する吸血鬼もいます。
かつては死者への恐怖と結びついていた存在が、時代とともに魅力的なキャラクターへと変化してきたのです。こうした多様な吸血鬼像が生まれた背景には、ポリドリやストーカーの小説、そして数多くの映画作品があります。
もちろん、昔の伝承に登場する吸血鬼が消えてしまったわけではありません。今でも恐怖を前面に押し出した作品は作られ続けています。
吸血鬼は、時代ごとの人々が何を恐れ、何に魅力を感じるのかを映し出す存在でもあるのでしょう。
ハロウィンのドラキュラは、物語が作り上げた怪物
ハロウィンでおなじみのドラキュラは、古くから伝わる吸血鬼の伝承をもとに、小説や舞台、映画によって姿を変えてきました。
昔の吸血鬼は、墓からよみがえる恐ろしい死者。19世紀の文学では魅力的な貴族として描かれ、20世紀の映画では黒いマントをまとった優雅な伯爵の姿が広まりました。
つまり、ハロウィンでドラキュラの仮装を楽しむとき、私たちが再現しているのは、昔から伝わる吸血鬼の姿そのものではありません。民間伝承の怪物に小説家が新たな魅力を与え、舞台や映画が黒いマント姿の伯爵として定着させた、長い物語の歴史が生んだイメージなのです。

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