“疑い”の段階で私たちは何を信じる?――芸能人を追い詰める過剰な空気

“疑い”の段階で私たちは何を信じる?――芸能人を追い詰める過剰な空気 スキルアップ・学び

在宅ワークで使うインターネット。普段からインターネットの書き込みやSNSのポストを見ることもあると思いますが、その書き込みや週刊誌などの話題を、疑うことなく信じてしまうことはないでしょうか?

近年、疑いだけで芸能人がテレビやメディアから姿を消すことが増えています。

たとえば、2025年11月1日に復活を果たしたダウンタウンの🔗松本人志さんは、はっきりした被害が明らかでないまま、約2年間も仕事ができなくなりました。復活の話題を見かけることも少なく、今も世間の目は厳しく向けられています。

現代は、情報はすぐに広がり、伝わるうちに話がゆがむこともあり、ゆがんだ情報で誰かを責める空気が簡単に生まれてしまいます。
私は、そんな状況があるたびに寂しく、もう少し人を信じたいと思っています。この記事では、現代の「世論」と「信じる力」について考えてみます。


“疑惑”が“真実”になってしまう怖さ

SNSやネットニュースでは、ひとつの投稿があっという間に広まります。
まだ確かではない情報でも、「あの人は悪いかも」と思われ、まるで事実のように扱われることがあります。

テレビや週刊誌でも、特に悪い話は早く広まりやすく、そんなときは、「まだ本当かどうか分からない」と一呼吸置くことで、誰かを不必要に傷つけずにすむかもしれません。

たった一晩で向けられた、星野源さんへの疑いの目

昨年、🔗星野源さんに関するあるSNS投稿が、一晩のうちに瞬く間に拡散されました。多くの人がその内容を真に受け、続々と星野源さんを誹謗中傷する投稿を重ねました。星野源さん自身にとって、それはまったく身に覚えのないことであり、寝耳に水の出来事でした。

後日、星野源さんは自身のラジオ番組で、この件についてすぐに言及。「全く心当たりのないことで、日本中から憎悪を向けられ、本当に恐ろしかった」と語りました。

オリコンニュース:🔗星野源、ネットでの“憶測”に生言及「デマですから」 誹謗中傷に胸中「日本中から憎悪を向けられた感覚」

スマイリーキクチさんの悔しさ

🔗スマイリーキクチさんは、掲示板などに、とある凶悪犯罪事件に関与しているという根拠のないデマが投稿され、長期間にわたり誹謗中傷をネット上で受け続け、仕事も失いました。

それは本人だけにとどまらず、家族にも影響が及び、生命の危機を感じることもありました警察に相談したものの、最初は相手にしてもらえず、しかし根気強く証拠を収集し、9年かかってようやく捜査を前向きに考えてくれる刑事に巡り合えました。

見ず知らずの人がSNSに書いた、本人が身に覚えもないことで、自分だけでなく家族も約20年にもわたり苦痛・悔しい思いをすることに。この悔しさは計り知れません。

朝日新聞:🔗スマイリーキクチさん「ネット中傷に正義ない」被害今も


誰かを叩く快感?正義?

あの人より上に「立ったような気持ち」になれる

SNSで誰かが反論する投稿に、さらに重ねて自分が反論したとき、心のどこかで少しだけ、“優越感”のような気持ちが生まれることはないでしょうか。

「自分は正しい側にいる」という安心感。
「相手より上に立っている」という感覚。

その思いは誰にでも生まれるものですが、その気持ちが膨らみすぎると、知らないうちに人を傷つける“快感”へと変わってしまうことがあります。また、その“快感”は、自分は間違っていない、大丈夫だと思いたい自己肯定感を生み、匿名性があることから加速し、より“快感”を得ようと反論を重ねてしまうこともあります。

「反論」してはいけないということはありませんが、ただ、その言葉を自分が言われたらどう感じるかを、一度立ち止まって考えてみましょう。

「正義」という名の上塗りをしていないか

誰かを叩くとき、自分は「正しいことを言っているだけ」と言う人もいます。けれど、叩かれているその人のことを、私たちはどれほど知っているのでしょうか?
その情報は本当に確かなものなのでしょうか。

真実かどうか分からないまま、怒りや不快感に“正義”というラベルを貼っていないか。

SNSの向こうには、私たちと同じように悩み、傷つく「人」がいます。そのひとつの書き込みで、命を絶ってしまうこともあり得ます。そのことを思い出すだけで、言葉の温度が少し変わるかもしれません。


芸能人も、私たちと同じ”人”

芸能人というと、どこか特別な存在のように感じてしまいます。
けれど、有名であっても同じ人間です。ひとたび疑いや噂が広まると、SNSなどであっという間に大きな話題になり、見えないところで、それは一般の人以上にとてつもない苦しみを味わってしまうことがあります。

「有名だから仕方ない」と言われることもありますが、根拠のない中傷は“意見”ではなく“暴力”です。
ひとりひとりの言葉が、思っている以上に強い影響力を持つことを、少しだけ意識してみましょう。

<💡「発信者情報開示請求」について>
インターネット上で誹謗中傷や名誉毀損などの被害を受けたときに、書き込みをした人物(発信者)を特定するために、プロバイダ等に情報開示を求める手続きです。
疑いの段階での誹謗中傷は、名誉毀損にあたり、発信者情報開示請求が行われ、刑事責任が問われることも。
参考:🔗ベリーベスト法律事務所 発信者情報開示請求とは


週刊誌やWeb記事を信じ込みすぎない

週刊誌やWebの記事は、ちょっと気になる見出しで私たちの目を引きます。内容が必ずしも事実でなくとも。売り上げにつながっていくから。

また、どこもかしこも、その記事を取り上げているら真実に違いない、と思ってしまうのも危険です。

面白い話だなと軽く楽しむくらいで十分。あまり深く信じすぎず、情報に振り回されずに、心をゆったり保つのが大切です。


“沈黙”もひとつの意見

気になる情報を見たときは、少し立ち止まって考えてみましょう。

  • 情報の発信元はどこか?
  • 本人や公式の発表など、一次情報はあるか?
  • 感情的な見出しに流されていないか?

また、何も言わない人は「無関心」だけではありません。疑わしい情報の段階では様子を見る、あるいは自分に関係がないので意見を控える、といった選択も必要です。

声を上げる勇気も大事ですが、沈黙を選ぶ冷静さも同じくらい大切です。


【まとめ】「正しい」と「間違い」は、外野には決められない

たとえば、正しいと思ったことでも、誰かにとってはそうでないかもしれない。だから、世の中には「正しい」と「間違い」だけでは判断できないことがあります。

だから、私たちは当事者の状況をよく知らない限り、簡単に「正しい」「間違い」と決めつけることはできません。

場面によって、人を疑ってかからなければ危険ということもありますが、何かを発信する時は、もう少し冷静になって、良い方に物事を信じてみることも大切です。

人を責めてストレスを発散したり、自己肯定感を上げるのではなく、ポジティブな言葉を意識的に使ったり、良いものを見たり聞いたり、出かけたりしてみませんか?


<関連リンク> こちらはあまり信じすぎると危険かもしれない。ネット詐欺に用心!

<参考リンク>

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